今回、奈良の酒蔵様を取材で回らせて頂いた際、よく目にした言葉があります。

『日本酒発祥の地奈良』

という言葉です。確かに、奈良は平安時代までは日本の首都でしたし、いわゆる古都ですから、歴史だけで見れば京都よりも歴史が長く、文化の中心だった時期があった訳ですから、日本酒発祥の地と言えないこともないだろうな。

筆者はそんなふうに考えました。正直にいってしまえば、「言えないこともない」といった程度の考えでした。

ですがそんなある日、取材で「風の森」で有名な油長酒造さんを訪れた際に、代表である山本嘉彦氏が色々と奈良の日本酒の歴史を教えて下さいました。教わってみると、なる程、確かに奈良が発祥と言っても差し支えないな。と、思わされました。

山本嘉彦氏と「菩提山正暦寺」の地図

そんな訳で、今回の「日本酒の歴史シリーズ」は「日本酒発祥の地 奈良について」と題しまして、なぜ奈良が「日本酒発祥の地」と言えるのかについて解説していければと思います。

時は「奈良」時代ではなく、室町、戦国時代にさかのぼります。

 

室町・戦国時代

実は、この室町・戦国時代に奈良で生まれた五つの日本酒の製法があり、この製法の誕生こそが、奈良が日本酒の発祥地という根拠になります。

その製法の話に入る前に、それ以前の日本酒について確認しておきたいと思います。

上記の写真は「どぶろく」と呼ばれるお酒になります。ちなみに、「どぶろく」とは米を発酵させただけの白く濁ったお酒を指します。現在では、炊いたお米に、米麹や酒粕に残る酵母などを加えて発酵させることによって造られます。とはいえ、当時で考えるなら米麹で造られていたと思われます。すでに、麹座というのが存在していましたので。

 

「どぶろく」は日本酒なのか?という議論は置いておいて、五つの製法に話を戻しましょう。この時代に生まれた五つの製法を上げていけば、「諸伯」、「上槽」、「段仕込み」、「火入れ」、「酒母」の五つです。

では、簡単にですが、ピンと来ないものもあると思うので幾つか確認しておきましょう。

 

「諸伯」について

「諸伯」とは、麹米と掛け米(蒸米)の両方に精米を用いる製法を指しています。「諸伯」の誕生というと余り重要と言われてもピンと来ないかもしれませんが、こう言いかえればどうでしょうか、「精米」の誕生と。最も当時は、「片白」(掛け米のみの精白)の方が一般的だったらしいのですが。ちなみに、その当時奈良は「南都」と呼ばれていました。故に、この南都を中心に広がっていった「諸伯」のことを「南都諸伯」と呼びました。

 

「上槽」について

「上槽」つまりは、搾りが行われるようになったのもこの頃からということになります。基本的にですが、「どぶろく」に搾るという行為は行われません。

 

「段仕込み」について

「段仕込み」とは、日本酒の醸造工程の一つである醪(もろみ)造りにおいて、その前の工程で造られた酒母もしくは酛へ、麹と蒸米を三段階に分けて加えていくことによって、酵母に対して適応可能なゆるやかな環境変化を与え、その活性を損なわないようにする工夫のことを指します。

 

これらのことが、室町・戦国時代に一気に誕生したとされているのです。確かにこれなら発祥の地といえるでしょう。

ちなみに、これらの酒を造っていたのは、いわゆる「酒屋」と呼ばれていた者達(今でいうと酒造)ではなく、お寺によって造られていました。ゆえに当時は「僧坊酒」と呼ばれて流通していたのでした。当時の著名人にも、「僧坊酒」のファンが多く、織田信長や豊臣秀吉も「僧坊酒」を好んで飲んだという記録が残っています。

日本酒発祥の地という石碑が残る「菩提山正暦寺」(ぼだいせんしょうりゃくじ)の当時の全貌を示した地図。現在では、これほどの規模はないとのことでした。

美味しい日本酒(僧坊酒)を造りそれを送ることで、時の権力者から寄付金をもらい、隆盛を誇っていた一助にしていたそう。なんだか、想像できない時代ですねー。

「上槽」と「諸伯」だけで考えてみても、日本酒の基本的なファクターを抑えている訳ですから、まさに「奈良」は「日本酒発祥の地」といえるでしょう。

ちなみにですが、この頃の奈良でお酒造りに使われていた「酛」を、現代に蘇らせた「菩提酛」というのが存在しています。ある程度、現代風にアレンジはされているそうですが、それでも当時の技法が再現されたお酒というは興味深いですよね。まさに、日本酒発祥の地の酒ですね。

皆様も、日本酒発祥の地の酒を一度は、楽しんでみては?

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