日本酒の歴史シリーズ 酒税について その1

酒税の誕生と悪魔の法令

酒税が生まれたのは、鎌倉時代のことです。ちなみに、「酒屋」というものが商業として登場するのも同じころだと言われています(現在では、鎌倉幕府の成立は1192ではなく、1185となっていること知っていますか?)。

イラストは源頼朝

実は、鎌倉時代には禁酒令「沽酒禁令」(こしゅきんれい)なる悪魔のような令(現在でいう法律)が鎌倉幕府より出されます。悲しいことに鎌倉の市場では酒の売買が禁止され、民家では酒壺が破棄されたりしました。

この悪魔のような「沽酒禁令」ですが、実はどういった理由で出されたのか、はっきりわかっておりません。酔った勢いでの殺傷沙汰が相次いだこと、全国的に飢饉がよくあったからや、酒が武士の財政状況を苦しめていたから、など諸説あります。

鎌倉~室町 壺銭(つぼせん)・麹役(こうじやく)

話を酒税に戻します。初めて導入された酒税は、「壷銭」(酒造役・酒壷銭とも)という名称で、造り酒屋の酒壺一個単位に課したので「壺銭」といわれています。

この「壺銭」ですが、鎌倉幕府が発布したものではなく、鎌倉幕府時代の朝廷によって発布されたものでした。とはいえ、この時の「壺銭」は一時的なもので、恒久的なものではなかったようなのです。当時の日本では、東の鎌倉幕府と、西の朝廷という二元の統治機構が成り立っていたとも考えられます。

 

鎌倉幕府の後の室町幕府は、経済的基盤が強くなかったため、造り酒屋から恒久的に「壺銭」を徴収したそうです。

また、この室町幕府の時代に「麹役」といわれる税も生まれています。「麹役」とは、幕府認可の「麹座」(こうじざ)に属さない麹屋に対する租税のことを指します。

 

 

この「麹座」、酒造りに使う麹を、造り酒屋に売る者たちを指します。現在の酒造りにおいて、麹は必須ですが、日本酒の文化において初めて麹が使われるようになったのは、奈良時代だといわれています。

さて、麹座は麹を独占的に扱う同業者組合です。幕府から製麹とその販売権を特別に許されていました。座に属さない者は、特権などで差をつけられていました。これを「麹役」と呼んでいました。とはいえ、当時の造り酒屋は酒造りを本格的に行っていました。どうやら、自ら麹を造れる造り酒屋も多かったらしく、そういった造り酒屋と麹座で徐々に利益対立が深まっていったそうです。最終的には、この麹座、豊臣秀吉の楽市楽座の政策によって解体されることとなります。

江戸 運上金・冥加金

時代もくだり、江戸時代になると、酒株が制定されて、酒造業者から「運上金」(うんじょうきん)や冥加金(みょうがきん)といわれる税が徴収されるようになりました。

ちなみに、「運上金」とは「造り酒屋の営業税」と「酒株」という「免許」の発行手数料などのことを指します。

ただし当時、幕府は米を原料とする酒造業を米価の調整弁として活用しため、たびたび減醸令が出され、酒屋は思うように商売ができませんでした。更に、酒屋たちも生産を控えるようになったため、はじめ幕府が期待したような税収は得られませんでした。生産量が減って酒の値段は高騰しましたが、それで下々の者が飲酒をしなくなるかというと、そんなこともありません。

このため運上金は1709年(宝永6年)に廃止されました。ただし、以後は「冥加金」という名で復活することになります。また各藩でも独自に酒税を定めることもあったそうです。

この江戸時代、実は日本酒が発展した時代でもあります。江戸時代は、庶民でも質の高いお酒が飲めるようになったため、様々な日本酒の文化が花開き始めます。現在で言うところの杜氏制度や、酒の保存性を高める火入れという技術の一般化、生酛の誕生等、江戸時代に出来た日本酒の技術や文化は、枚挙にいとまがありません。

本来、酒税は日本酒文化において非常に重要な役割を担っています。ここまできてなんなのですが、実は日本酒文化に本格的に影響を与えていくのは、明治以降の近代化を経て後ということになります。

ということで次回は、明治から現代の酒税について扱えたらと思っています。

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