泉橋酒造
泉橋酒造は「酒造りは米作りから」の信念のもと、酒米作りから精米・醸造まで一貫して行う栽培醸造蔵です。
- 代表者: 橋場 友一
- 本社所在地: 〒243-0435 神奈川県海老名市下今泉5−5−1
- 電話番号: 046-231-1338
- 創業: 江戸・安政4年創業、西暦1857年
- 公式HP
brewery profile 蔵元について・受賞歴など
泉橋の由来~地元の農業と共に~
江戸・安政4年(1857年)創業
酒蔵の創業は、江戸安政4年(1857年)。 県内有数の穀倉地帯である海老名耕地(えびなごうち)に蔵を構えた私達の祖先は、地元の農業と共に、潤沢な米と丹沢山系の伏流水という2つの恵みを生かした酒造りを始めました。 海老名耕地は、その歴史をさかのぼれば、2,000年前から始まり、3~4世紀には多くの古墳が造られ、8世紀には相模國の国分寺も建立された古代からの穀倉地帯です。いにしえの人たちによって守られ、手渡されてきた米作り、そして、酒造りの伝統を次の世代へとさらに手渡すことを夢見て、泉橋酒造は、「栽培醸造蔵」としての歩みを進めています。栽培醸造蔵とは、日本酒は醸造物であるだけではなく、農業副産物であると考え、米作りから酒造りを実践していく酒蔵です。 私達の酒造りにおいて、人様の口に入るものの安全性を守ることを基本と考えています。美味しい、楽しい、そして、安心できるものを食卓にお届けするために、私たちは、これからも地域の農家の方々と共に自然の恵みに感謝しながら醸造を続けていきます。 *「栽培醸造蔵」は泉橋酒造株式会社の登録商標です。登録商標第5931100号昔の写真から泉橋酒造の姿を考える~泉橋の由来~
泉橋酒造の社名にもなっている「いづみ橋(泉橋)」の由来の話ですが、古来からの農業環境そのものに端を発しています。 以下は、昭和2年(1927年)の旧日本陸軍が撮った航空写真を使って説明します。 中央に泉橋酒造とその北側の海老名耕地に泉川(いづみがわ)が流れています。この泉川は田んぼの用水路の役目を果たしていたことがよくわかります。 また、うちの屋号が「橋場(はしば)」だったことから、泉川+橋場=泉橋となったのことです。水田の穀倉地帯からの命名だったことがわります。 次にわかりやす泉川の位置と弊社の位置を入れてみました。 しかしながら、泉川は、昭和5年から10年の歳月を掛けて行われた土地改良事業によってまっすぐな用水路に姿を変えてしまい、 現在では泉川は存在していませんが、泉橋酒造の名前に生きています。 上の写真は、昭和47年に米軍が撮影した写真です。泉川はなくなりましたが、代わりに田の区画が大きく、きれいになっています。この後の農作業の機械化などに対応し農業環境がよくなったのでしょう。そして、今の泉橋酒造(株)があります。地域の諸先輩たちに感謝ですね。 現在の航空写真は次をご覧ください。写真はすべて国土地理院から購入したものです。泉橋の酒造り
酒造りは米作りから・・・
泉橋酒造は、「酒造りは米作りから」の信念のもと、全国でも珍しい「栽培醸造蔵」として海老名市をはじめ近隣地区で酒米栽培から精米・醸造まで一貫して行っています。 太陽と大地の恵みをいっぱいに受けて育んだ信頼できる米を丁寧に仕込む、それが私達の酒造りです。いづみ橋を囲みながら仲間同士で話が弾み、杯を重ねていた・・・ そんな心地よく酔える酒を目指しています。 ※栽培醸造蔵とは農業から醸造まで責任を持って行なう酒蔵のこと、『栽培醸造蔵』は泉橋酒造株式会社の登録商標です。赤とんぼに込める酒造りへの思い
日本で昔から好かれている昆虫に「赤とんぼ」があります。特にここ関東地方では「秋アカネ」という種類が多いようですが。
その昔私達の祖先は、日本の国のことを「秋津島、稲穂の国」(秋津・・・赤トンボの意)と呼び表し、「夕焼け小焼けの赤とんぼ・・・」という歌にも「赤とんぼ」が登場してきます。この赤とんぼは、お米が育つ田んぼでお米と一緒に育っていることをご存じでしょうか。
泉橋酒造のお酒は、この赤とんぼが育つ同じ田んぼで育つお米から仕込みます。お酒は、お客様のお口に入るデリケートなもの。泉橋酒造は、お客様が安全で安心できるお酒を醸すために、減農薬栽培や無農薬栽培にも取り組んでいます。私たちが米の栽培時の農薬の使用量を減らすことで、赤トンボの数も増えてくると同時に他の動植物の命も育んでいきます。秋の空にたくさんの赤トンボが飛び交う、そんな故郷をつくるために、そして、お客様に安心して頂けるお酒をお届けするために泉橋酒造では赤トンボをシンボルマークとしています。