今回の「酒蔵へ行こう」は、福島県は会津若松市に居を構える「辰泉酒造」さんにお邪魔しまして、4代目新城壯一さんにお話を伺ってまいりました。
はじめに
辰泉酒造さんの創業は明治10年。一般的には、かなり歴史の長い酒蔵ともいえますが、古くから酒造業が盛んだった会津においては、比較的新しい酒蔵なんだとか。「辰泉」という名前の由来は、「白鹿」で有名な灘の辰馬本家に、辰泉酒造の初代が勉強に行った縁からと伝えられているそうですが、詳細はもうわからないとのこと。
そんな辰泉酒造さんが造る日本酒は、辛口の系統を中心にしているそうですが、いわゆる「淡麗辛口」ではなく、旨味のある辛口を中心に造られています。機会があったので、地元の居酒屋の店主さんなどに聞いてみると、「辰泉は辛口が多いよね」といった話をよく耳にしました。
そんな辰泉酒造さんですが、実は唯一無二ともいえる特徴があります。その特徴とは、「酒米」にあるのです。
京の華
「京の華」という酒米をご存知でしょうか?むしろ、日本酒の銘柄にもありそうな名前ですが、酒米の名前としてきいたことがあるという方は殆どいないのではないでしょうか?
それもそのはず、この「京の華」で酒造りを行っている酒蔵は、全国でも殆どなく、辰泉酒造さんほど本格的に使っている酒蔵はありません。
「京の華」は大正時代の山形で生まれたという歴史を持ちます。当時の山形は酒米の先進地とされていました。今のような機材がない中でも、民間で品種改良などが行われていたらしいのです(ちなみにですが、現在の酒米の王者とでもいうべき「山田錦」も大正時代に兵庫県で生まれた酒米です)。
「京の華」が会津に伝わったのは、昭和のはじめの頃。当時の会津には酒米の品種が少なかったこともあって、爆発的に広がっていったのだとか。
とはいえ、戦時中(第二次大戦)になるとその「京の華」も廃れていくことになりました。日本全体が物資不足だった訳ですから、お酒専用のお米を作る余裕があるなら食用米を作れということでしょう。
そんな「京の華」は都合2度の復活をしているのです。1度目は福島県の農業試験場において選抜育種され、福島県のオリジナル品種(京の華1号)として復活しました。ですが、また生産が途絶えることとなってしまいます。2度目の復活は昭和50年代の後半のこと。これは、辰泉酒造さんの先代新城新次氏によるものでした。以降、脈々と辰泉酒造さんに受け継がれています。
こういった経緯で「京の華」は復活したわけですが、現在「京の華」を使っている酒蔵は辰泉酒造さん以外殆どありません。4代目にお話を伺ってみたところ、この「京の華」は非常に扱いづらい酒米なのだとか。
そもそも収穫量もそう多くなく、ほこぼれしやすい。粒は大きく心白も大きい、そのため割れやすく精米の際にも細心の注意を払うのだとか。酒造りの際も溶けやすい酒米だとのことで、溶けすぎると味が濃くなりすぎるとのこと。非常に発酵管理が難しい酒米というお話でした。
幾つか挑戦した会津の酒蔵もあるそうなのですが、皆匙を投げってしまったらしいのです。
写真は、新城さんに「京の華」で一番オススメの銘柄をお尋ねした時に、お答えしていただいた銘柄。「京の華」で造る日本酒の特徴を聞いてみたところ、「甘みやふくらみは控えめですが、独特の深い旨みの余韻があります」とのことでした。
辰ラベル
基本的に「辰泉」の味わいは「味のある辛口」が中心なのです。しかし、この可愛い辰が印象的なこの「辰ラベル」シリーズは、少々毛色が違います。
甘く、爽やかでフルーティーな味わいで(「辰ラベル」シリーズは現在NO.1~4まで生産されていて、この評はNO. 2)、通常の「辰泉」のイメージとは少々離れます。
お話を伺ってみると、2012年から造り始めたものなんだそう。元々、先代の頃から働かれていた南部杜氏さんが引退され、自分が酒造りのメインを担うようになったのが始まり。
「新しいことをはじめてみよう」
そんな思いが、この「辰ラベル」シリーズ誕生のキッカケなんだとか。未だ、生産量も多くなく、限定流通なんだそうです。見つけたら是非買ってみては?
終わりに 酒造りのこと
辰泉酒造さんの特徴をあげるとすれば、酒造りに使う酒米が全て福島県内で生産されたお米ということが、あげられます。まさに、地酒らしい地酒という印象です。そしてもう一つの特徴が、酒蔵の中に酒造りにおいて最も一般的な圧搾機であるヤブタがないということがあげられます。
辰泉酒造さんの搾りは、袋吊りを除けば、全てが槽搾りによって酒造りが行われているのです。「少し手間は増えますが、やっぱりコッチ(槽搾りのこと)の方が丁寧な酒質になるんです」とのこと。
『辰泉酒造の商品は槽搾り』それはそれで、酒蔵独自の特徴といえるのではないか?などと思った、今回の「酒蔵へ行こう」でした。
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